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そしてねぎ2本頼んで
食べながら独り言いいながら食べていたあの人は今どうしているのだろう
ねぎ串焼くたびに思いだしてしまう
インパクトのあるお客さんでした
これも仕方のない事なんだろうけど、やっぱりどんな別れも辛く寂しい
又4月になれば新しい出会いもあるのだろうが
そんな人達が旭川に帰って来ても『焼鳥いいねの親父まだ店やってやがるんだと』驚かせる為に焼鳥親父は頑張ろうと思うこの時期でした(笑)
たまにお客さんに「マスターの修業したお店どこ?」って聞かれたりするが
豊岡の焼鳥激戦区とだけ答えたりする(笑)
お店やり始めた頃は自分のお店閉めてから帰りに寄って色々又教えてもらったりしていたがここ何年か顔さえ出していないばちあたりな弟子ですみません(泣)そんな事考えていたそんなある日お店の暖簾閉まっている時「さとう君さとう君」
近所に飲みに来てたらしい


今はライブの告知とかお店の宣伝とか「フライヤ
フライヤー
」って言う見たいですね
これも原宿の真似だったんだけど
自分達で雑誌コピーして切り抜いて張り付けたりして、今ではバソコンですぐできる作業が普通に何日もかけて作ったりしてた。



何なんだ~この人達は?と考えていた所ようやく判明しました
いつも交代でチラシ配りしていたあの頃の賑わいは戻ってこないのだろうか